2014年2月21日金曜日

Biography Of PINK

7枚組のBOXセットがリリースされたということで、改めてPINKのバイオグラフィを書いてみました。




PINK (ピンク)

PINKは、アミューズという事務所に所属していた福岡ユタカ、沖山優司、鈴木賢司の三人で始めた「おピンクな集い」というセッションをきっかけに結成されたバンド「おピンク兄弟」を母体として、83年に結成された日本のバンド。

以前、Youtubeにこのおピンク兄弟時代の音源がアップされていた。

1983年1月15日目黒鹿鳴館でのライヴで、参加者は前述の3名に加え、ホッピー神山、スティーヴ衛藤、横山英規、矢壁篤信、OTO(村田尚紀)、Mishima、Eriko Ito、Mariko Nishikawaといった面々。

そこでは、"SOUL FLIGHT"の原曲となる曲が演奏されていた。

このセッション形態で活動するうちに次第にメンバーが固まって、福岡ユタカ、岡野ハジメ、ホッピー神山、矢壁アツノブ、スティーヴ衛藤、渋谷ヒデヒロの6人で正式に「PINK」としてスタートすることになった。

なお、正式メンバーではないが、ライヴでは必ず横山英規(a.k.a. KEITH YOKOHAMA イエー)が参加している。(基本Sax担当だが、時々ベースも弾く。)

メンバーはPINK参加前からそれぞれのバンドですでに活躍しており、福岡と矢壁は人種熱・ビブラトーンズ、ホッピーとスティーヴは爆風銃(バップガン)、岡野はスペースサーカス、渋谷はショコラータに在籍していて、みな名の知れ渡ったプレイヤーだった。

そういった経緯のためか、メンバーのバンドに対する向き合い方は、一歩引いた、どこか冷めているものがあった。

以下、デビューから活動「凍結」までの足跡を簡単に記す。

1983年
  • ツバキハウス、ライヴイン、PARCO PART 3などでライヴを重ねる。
1984年
  • 6/21、EPIC SONYから8インチEP"砂の雫"でデビュー。
  • 10/21、映画"チンピラ"の主題歌となった8インチEP"プライベート・ストーリー"リリース。
1985年
  • 5/25、MOON RECORDSに移籍して1stアルバム「PINK」をリリース。
  • 7/25、12インチEP"YOUNG GENEUS-GIMMIX"をリリース。
  • 7/26~9/7、全国12ヵ所でツアー。(東京*2、神戸、京都、名古屋、広島、福岡、岡山、高知、札幌、仙台)
  • 11/25、日本青年館""MUSIC WAVE"に出演。
  • 12/14・12/15、ラフォーレ飯倉にて"PINK GIG IN LAFORET MUSEUM"を行う。
  • 12/25、大阪・近鉄シアターにて"PINK GIG IN KINTETSU THEATER"を行う。


PINK/SECRET LIFE


PINK/ILLUSION


PINK/YOUNG GENIUS


PINK/ZEAN ZEAN

1986年
  • 2/10、8インチEP"DON'T STOP PASSENGERS"リリース。
  • 2/25、2ndアルバム「光の子」リリース。
  • 3/29~5/3、コンサートツアー"RADICAL CHIC CIRCUIT"を、中野サンプラザを皮切りに全国12ヵ所で行う。
  • 5/25、12インチEP"光の子(Remix)/LUCCIA(Remix)"をリリース
  • 6/23~9/27、"PSYCHO−DELICIOUS ACT-0"と称したライヴを断続的に行う。
  • 10/7、渡英し、ロンドンのBusby'sにてライヴ。
  • 10/18、渋谷エピキュラスにて、英国BBC、ラジオオンエア収録のためのライヴを行う。
  • 11/3、英国RIME RECORDからEP"SOUL FLIGHT"をリリース。
  • 11/28、8インチEP"Keep Your View"リリース。マクセルビデオカセットCMのイメージソングとして使われたことから、スマッシュヒットを記録。
  • 12/18・12/21、"PSYCHO DELICIOUS ACT-I"を大阪厚生年金会館、および渋谷公会堂で行う。


PINK/GOLD ANGEL


PINK/SOLAR ECLIPSE ~ DON'T STOP PASSENGERS


PINK/青い羊の夢

1987年
  • 1/28、3rdアルバム「PSYCHO-DELICIOUS」をリリース。オリコンチャートに10位初登場する。このアルバムをもって体調不良を理由に渋谷ヒデヒロが脱退し、代わりに逆井オサムが参加。
  • 2/24~4/5、"PSYCHO DELICIOUS ACT-II"を全国10ヵ所で行う。
    • 2/24 横浜新都市ホール
    • 2/25 京都会館
    • 2/27 金沢文化ホール
    • 3/15 札幌道新ホール
    • 3/17 仙台電力ホール
    • 3/18 新潟県民会館小ホール
    • 3/30 福岡都久志会館
    • 4/1 名古屋芸術創造センターホール
    • 4/4 大阪厚生年金会館中ホール
    • 4/5 東京中野サンプラザ
  • 3/25、12インチEP"TRAVELLER"リリース。
  • 7/28、EPIC SONYより初期楽曲集"DAYDREAM TRACKS"リリース。
  • 10/28、4thアルバム「CYBER」リリース。
  • 11/28、8インチEP"CHRISTMAS ILLUSION"リリース。
  • 10/30~12/21、"PSYCHO-DELICIOUS ACT-III"を大阪厚生年金会館ホール他で行う。


PINK/KEEP YOUR VIEW


PINK/SCANNER


PINK/ELECTRIC MESSAGE


PINK/TOKYO JOY


PINK/MOONSTRUCK PARTY(荒野の七人)


PINK/CLIMB, BABY CLIMB

1988年
  • スティーヴ衛藤が脱退。
  • 11/5~11/8、"PSYCHO-DELICIOUS ACT THE FINAL"を行う。
    • 11/5 渋谷公会堂
    • 11/7・11/8 大阪MODAホール
1989年
  • 2/25、5thアルバム「RED&BLUE」をリリース。このアルバムをもって、PINKは活動を「凍結」した。

PINKの楽曲はヴォーカルとギターが主役の一般的なロックバンドとは異なり、矢壁の正確無比なドラムと渋谷のカッティング・ギターがリズム隊を形成し、岡野のメロディアスなスラップ・ベースと福岡のパワフルなヴォーカルがリードし、ホッピーのキーボードが彩を与えるというもの。

それはメンバーそれぞれが主張しまくる非常にスリリングなものだった。

かといって、まとまりがないかというとそんなことは全くなく、それぞれの曲の完成度は非常に高い。

この辺りの絶妙な落としどころはさすが手練れ揃いだ。

渋谷のギターはカッティング中心で、リズム楽器として楽曲のバックアップに徹していた。

1stアルバム"PINK"のオープニング曲"DANCE AWAY"でいきなりギターをBOΦWYの布袋寅泰が担当してるということからも、このバンドのギターに対する扱いを垣間見ることができる。
(当時PINKとBOΦWYは同じスタジオを使っていたことから、交友があったとのこと。)

また、メンバーそれぞれの出自が異なることから、音楽的にごった煮状態になり、それがバンドの強みでもあった。(「無国籍サウンド」などと形容されていたりした。)

いずれの楽曲も"ポップさ"が同居し、良い意味で80年代の分かり易さがある。

80年代というのは、日本のロックシーンの発展期に当たり、海外シーンの影響を大きく受けながらも、日本独自の音楽性というものを探っていたと思う。

これを礎として、90年代以降に日本独自の進化を遂げるのだが、PINKもその礎の1つとして後世のバンドへの影響は決して少ないものではなかったと思っている。

そしてサウンドと共にPINKの独自世界を形作っていたのが歌詞だ。

歌詞は外部に依頼している曲が多いが、その中でもSAGE UWE(宇辺セージ)と吉田美奈子の比率が高い。

特にSAGE UWEの独特の言葉使いのセンスと、福岡ユタカの描く幻想的で抒情的な曲とのマッチングが最高で、PINKを語る上では外すことができないだろう。

"人体星月夜"、"sea of mandara"、"月に吠える夜間飛行"、"銀色夢馬車"といったロマンチックなフレーズに、思春期の心が何度貫かれたことか。

最後に、PINK凍結後の各メンバーの動向を。

福岡ユタカと矢壁アツノブはHALO(ハロー)というユニットを結成し、2枚のアルバムを遺す。

ホッピー神山はルースターズの下山淳とRAEL(ラエル)を結成、1枚のアルバムを制作後ソロに転向。

岡野ハジメはSALON MUSICの吉田仁とのユニットQUADRAPHONICSで活動する傍ら、プロデュース業で名をはせた。

スティーヴ衛藤はフリーのパーカッショニストとして多岐に渡り活躍。

渋谷ヒデヒロは2000年12月14日に永眠。

逆井オサムも2000年10月20日に永眠した。

5 件のコメント:

  1. こんにちは。人体星月夜Ⅱを作詞したUweSageです。

    jagatara2020のイベントに宮台真司さんが出演したというのを検索している時に

    たまたまここを見つけました。

    ぼくは評価されることが全くなかったので、この記事を見て大変にうれしかった。

    PINKからは「詞なんて付いていればいいんだ」と言われていました。

    だから、尚更のこと、あなたの評価がうれしかった。

    けれど、言葉はロマンチックを目指したものではありません。(Uwe)

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    1. Uwe様、初めまして。mikageと申します。

      まさかご本人様がすでに廃屋と化した当ブログにお越しいただけるとは・・・。大変光栄です。

      実のところUwe様がYoutubeにコメントされているのを最近気づいて密かに収集しているところでした!

      詞が評価されることがなかった、とのことですが大変驚きです。

      私はPINKをリアルタイムで聴いていません。初めて買ったのは近所のCD屋さんに唯一置いてあった「RED&BLUE」でした。たぶん90年代の始めのころです。

      ですので、詞と曲、演奏を先入観なく総合的に聴くことができたからか、Uwe様の詞に強く惹かれました。

      本エントリにも書きましたが、福岡ユタカ氏の曲とUwe様の詞が紡ぎだす世界観が私にとってのPINKであり、青春でした。

      十代でPINKやRAELを聴いている人は私の周りには皆無でしたけど...。

      気が向いたらまた訪問いただけると幸いです。(「けれど、言葉はロマンチックを目指したものではありません。」の続きをぜひお聞きしたい・・・) このようなご時勢ですので、何卒お体にお気をつけください。

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  2. Uwe Sageです。個人的にメールを送信するにはどうしたら良いのでしょうか。
    あるバンドに僕が作詞した曲を、ふとした思いつきで簡単な動画を作りました。

    そして、YouTubeにアップしましたが、ソニーの著作権にひっかって公開アウト。
    個人的にmikageさんに見ていただきたく、場違いなコメント投稿をしました。

    なんなら、ここに僕のメールアドレスを書いて、それに返信していただいたら
    僕のアドレスをサッと消してもらうとかでも結構ですので、よろしくお願いします。

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    1. Uwe様、コメントありがとうございます!!
      ブログの右サイドバーの一番下に「連絡フォーム」を設けました。そちらを送信いただければ、私宛にメールが届くようになります。
      お手数お掛けしますが、ご連絡お待ちしております!

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    2. Uwe様、確認したところ「連絡フォーム」だとなぜかメールが届かないようでした。そのため、コメントを承認制にしてすぐに表示されないようにしました。お手数ですが、コメントにご連絡先をいただければと思います。

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