2009年9月25日金曜日

The Cure歴代メンバー紹介(ベース編)

メンバー紹介第2回はベーシストです。30年近く在籍する巨頭Simon Gallupが存在するため、安定しているイメージがありましたが、それでもドラマーと同じ4代目まで継承されています。恐るべし。

(2019/8 最新情報を反映)





初代:Michael Stephen Dempsey(マイケル・デンプシー)
1958年11月29日、ジンバブエの首都ハラレ生まれ。

"Three Imaginary Boys"の一人。

Lol Tolhurstと同様、The Obelisk時代からのメンバー。

1st"Three Imaginary Boys"リリース後、78年11月に脱退した。

理由はRobert Smithとの音楽的志向の違いという。

記念すべき脱退者第一号。これより続出する脱退者の先鞭となった。

脱退後はAssociatesやLolのバンドPresenceに参加したりしている。

また、86年の"Boys Don't Cry"のビデオクリップでベーシストとして再登場している。

10年にLolのバンドLevinhurstに参加。はげ上がってすっかりいいおっさんになっていた。

以下、1994年当時のRobertのコメント。
「バンドから人をつまみ出していたのは、僕だけじゃない。必ずしも僕だけのせいではないんだ。マイケルを入れて最初の3人編成は、こじんまりしたバンドって感じだった。お互いの懐を痛めながら暮らす羽目になろうとは、夢にも思わなかったよ。彼とはあれから何度も(1986年に再録された"ボーイズ・ドント・クライ"のビデオ録りを含む)会っているし、彼とは実際に気が合うんだけど、一緒にやっていくことはできなかった。本当の話、それは各自について言えることなんだ」

2代目:Simon Jonathon Gallup(サイモン・ギャラップ)
1960年6月1日、英サリー州生まれ。

Lockjaw、Magspiesというバンドを経て、79年12月にMichaelの代わりとしてThe Cureに参加。

歴代メンバーの中で随一のルックスでRobertと人気を二分した。

ベースを弾く際の華麗なステップが特徴。

また、3ピース時代はライヴでキーボードやギターも担当したりした。

若い頃は結構気性が激しかったらしく、Robertたちと度々衝突したという。

それは82年の4th"Pornography"で最高潮を迎え、結局Simonがバンドを去ることになった。


3代目:Philip Carden Thornalley(フィル・ソーナーリー)
1960年1月5日、英サフォーク州Worlington生まれ。

4th"Pornography"のエンジニアを担当した縁で、84年にSimonの後任に抜擢された。

Andyとのコンビでアグレッシヴなリズム隊を形成していたが、5th"The Top"のレコーディングには参加していない。

自身のキャリアのためにバンドに在籍していたようで、Robertもパーマネントなメンバーとは思っていなかったようだ。

84年11月にバンドを去った。

以下、1994年当時のRobertのコメント。
「フィル・ソーナリーに関しては、エンジニアでありプロデューサーみたいなもので、経験を積むために僕らのグループにいただけだから、彼がずっと残るのかという疑問は一切なかった」

4代目:Simon Gallup
82年のThe Cure脱退後、Robertの元ローディ・Gary Biddlesらと共にFools Danceというバンドで活動していたが、Phil脱退を受けてRobertに誘われ、晴れて復帰と相成った。
(これにより、GaryなどのFools DanceのメンバーからRobertは恨まれたという。)

復帰後は作曲も手がけ、7th"Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me"の"Perfect Girl"、9th"Wish"の"High"、10th"Wild Mood Swings"の"Mint Car"、11th"Bloodflowers"の"The Last Day of Summer"(※Robertとの共作)などの楽曲は彼の手によるものである。

Robertの信頼も絶大なものがあるが、94年頃プライベートの問題(離婚と思われる)が原因でバンドを離れていたことがある。

しかし、Robertの説得によりバンドに戻った。

二度の復帰はSimonとPorlだけで、二人がRobertにとって特別な存在であることが伺える。

(2013/4 追記、2011年にRoger O'Donnellも二度目の復帰を果たしました。)

そしてそのPorl Thompsonとは特別な仲にあるらしく(?)、ライヴにて度々キスを交わす姿が目撃されている。


おまけ1:Norman Fisher-Jones
83年から84年頃、Philがエンジニア兼業であったために参加できないTV出演やライヴに、代役として参加。

サングラスがトレードマーク(?)。

映像はこちら

このThe Cureへの参加がキャリアの始まりらしく、のちにNoko名義でギタリストとしてMagazineの再結成に参加している。

さらに、布袋寅泰と同じ生年月日で、仲も良いとか。

世の中どこで繋がるかわかりませんな。


おまけ2:Roberto Soave
The AssociatesやShelleyan Orphan、Presenceに在籍したベーシストで、92年の"Wish"ツアーでSimonが病気で離脱した際にサポートとして参加した。


おまけ3:Eden Gallup
1990年3月18日生まれ。

2019年のFuji Rock Festivalにベーシストとして電撃参加した、Simonのご子息。実母はPearl Thompson(a.k.a. Porl Thompson)の姉妹であるCarol。

SimonのローディーとしてThe Cureのツアーに帯同していたが、Fuji Rock直前の7/26に行われたPaleo Festival tonight公演の後、"A SERIOUS PERSONAL SITUATION"のために来日が困難になったSimonに変わり、急遽代役として立てられ、見事にその大役を果たした。(自ら立候補したそう)

Simonは8/3のロシアはモスクワで行われたAfisha Picnic tonight公演で復帰した模様なので、日本公演だけのスペシャルゲストという扱いか。

Robert曰く、Robertは彼のGod Father(名付け親)であり、彼が生まれたときすでにThe Cureは存在していたので、彼の参加は感慨深いものがあった模様。当然、ステージで偉大な諸先輩方に囲まれて緊張気味であったが、Robertを始めとしたメンバーの暖かいフォローのお陰か、少しずつプレイがこなれてきてように見えた。

余談だが、Simonは上記の通り94年頃にプライベートの問題で脱退しかけており、Robertも96年の"The Swing Tour"にて、8/11の公演後に緊急帰国し、復帰した8/17の公演でラストソング"Faith"の演奏中に泣き出した、というエピソードがあったり(Maryとの夫婦関係に問題を抱えていた、という噂)するので、長いツアーで家を離れる生活を送る彼らはそれはそれで色々大変そうですね。


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